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樋口達也 an illustrator
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ノートの片隅
![]() おだいじにドンマイ | ![]() 山岡久乃毎週欠かさず見ているのは『ありがとう』の再放送。 毎回、山岡久乃の素晴らしさに感嘆している。ドラマのなかで、親しい者に向けるまなざしに、なんともいえないときがある。 特に第1シリーズの山岡さんは素晴らしかった。毎回、演技を超えたものを感じた。 『ありがとう』の劇中、水前寺清子が母役の山岡久乃に叱られて頬を張られるシーンがあるが、チータはそのことにのちのちまでわだかまりを持っていたという。山岡久乃の叱る演技は、それはもう「名人」であったと思う。 | ![]() 恐竜展夏休み、恐竜展に行った思い出。 ソ連科学アカデミーとか、ゴビ砂漠とか。 恐竜の化石にさわるコーナーがあって、さわると「さわりました証明書」を発行してくれた。 |
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![]() いっそセレナーデ昔、サントリー角瓶のCMに 井上陽水が出演していて、"いっそセレナーデ"が流れていた。 外国っぽいアパートの一室で、陽水が冷蔵庫から電話機を取り出したり、アイスピックで氷を砕いたりする。 ぼくは11、2歳くらいだったけど、その大人っぽい雰囲気が好きで歌もよく口ずさんだ。 歌詞の意味は全然分からなかったけど。 大人の都会生活はこんなか、と思ったりした。 あまいくちづけ 遠い想い出 夢のあいだに 浮かべて 泣こうか いまは、ああ、グッとくる。 | ![]() エゾオオカミえぞおおかみ 蝦夷狼 EZO-OOKAMI アイヌ語では、horokew-kamuy 学名は、Canis lupus hattai | ![]() 冬の夜の楽しみノルディック世界選手権見るのが冬の夜の楽しみ。 さっき高梨沙羅さんが飛んだ。 昔のジャンプ競技見ると、今とフォームが全然違う。 スキー板は揃えて、腕を前に伸ばしたり、ぐるぐる回したり。 今夜の解説は原田雅彦さん。 長野五輪、原田選手の競技後インタビューは何度見ても泣き笑う。 |
![]() 穂高書房阿佐ヶ谷に住んでいたころ、アパートの近くに穂高書房という山岳書専門の古書店があった。 狭い本屋だった。 本がパンパンに詰まった電話ボックスのような店だった。 積み重ねられていた本の標高は2m。 山男然とした髭の店主は、いつも店の外にいらした。 店の中では狭くて息苦しかったんだろうか。 閉業されてもう10年以上経つと思うけど、見た目にも好きな本屋だった。 | ![]() 山男山の写真家・田淵行男さんについて書かれたもので、親交のあった写真家・水越武さんの文章がおもしろかった。 水越さんが初個展を銀座で開いたとき、前触れもなく安曇野から田淵さんがやって来たという。 田淵さんは豊科駅から始発で、風呂敷包みの弁当をひとつぶら下げ、地図を頼りに銀座のギャラリーにやってきた。 そして水越さんの作品を一点一点丹念に見て回り、控室で風呂敷の弁当を食べ、食べ終わるや有楽町駅から帰路につかれたのだそう。 見送りたいという水越さんの申し出を断り、他の来場者のためにギャラリーにとどまるよう促し、田淵さんはその日の うちに安曇野に帰ったという。 このエピソードを読んで、よく云われる「山男」の話を思い出した。 山男というのは、山ではいきいきとしてその眼は光り輝いているが、山を降りると、いかにも朴訥な人に映るというもの。 風呂敷包みの弁当を手に、田淵さんは安曇野から銀座へ降りてきた。 田淵さんを敬愛する若者の初個展を祝うために。 その山男の実直さに、じんときた。 | ![]() 共存NHK『裏山にヒグマがいる』見る。 いずれの立場から見ても辛い。 「人間とヒグマの共存」という、ともすればおとぎ話と化してしまう問題を、地元の告発として突き付けられたような気持ち。 番組の作り方としても精一杯だと思う。 自分が熊を描くということの覚悟。 今一度。 |
![]() 西村秀夫さん、こけし過去の日記ぱらぱら眺める。 2005年。 宗教学者西村秀夫さんの番組を見た、とある。 西村さんの自宅が映り、若くして亡くなった息子さんの写真盾の裏に、数本のこけしが置かれていた… という覚え書き。 | ![]() 石炭1973年広島生まれの自分は石炭ストーブには馴染みがない。 練炭はぎりぎり。 初めて石炭ストーブにあたったのは、冬の津軽鉄道。 ストーブ列車に乗れたことがうれしくて、ついストーブのそばの席に座った。 それがまあ暑いこと。 途中でたまらなくなり、ストーブから離れた席に移った。 その熱量、石油ストーブの比ではない。 小学生の頃、石炭の標本を持っていた。 脱脂綿を敷いたケースに石ころ大の石炭がひとつ。 こんな石が燃えて、SLも走らせることができるというのが不思議だった。 化石燃料は消えゆく運命にあるし、これをなんとかしなければ未来はない。 石を燃やして機関車が動いたのなら、そろそろ何かを燃やさないでも動くものに驚かされたい。 | ![]() 熊は逃げるある方の熊の絵を見て、自分には決定的に足りないものがあると気付く。 それをおぎなえるものはなんだろうか、と考え続けている。 絵が上手い下手とか、そういうことじゃない。 それならいくらでも負けてあげられる。 自分のなかに負からないものがある。 それに出会えただけでも、ぼくは助かったのかも知れない。 描いても描いても熊は逃げてゆく。 いつかつかまえられるだろうか。 |
![]() NEW HORIZON絵本で英語を使ったけど、てんでイケてない英語になっていると思われ。。 中一からやり直したい… ああニューホライズン。 鈴木英人さんの表紙は鮮烈だった。 | ![]() ブルーの見解 by 佐野元春♫あぁでもおれはきみからはみだしている | ![]() 子どもが子どもでいることNHK『不登校がやってきた』興味深く見る。 答えがない。 あらためて、子どもが子どもでいることは大変だなあと。 大人の興味のあることが多いだけ、子どもにも選択肢が ありすぎて選択肢がないような。 ぼくの頃とは比べようがないけど、押し付けられるものは身にならない。 けどなるものもある。 答えはない。 終了直後チャンネルを回すと、絶海の孤島「鳥島」をたった一人で40年間行き来し、アホウドリを調査し続けている先生の番組をやっていた。 その先生が根気強く調査してこなかったら、アホウドリの生態はよく分からないままだったし、何より絶滅したかも知れないのだ。 答えはないのだけど、これもひとつの答えだと思った。 |
![]() 思索のときかろやかに、自由に。 旋律的短音階から自然的単音階へ戻すように。 | ![]() 及川恒平さん岡本忠成さんの人形アニメを見ていたら懐かしい歌声が聴こえる。 及川恒平さんの歌。 詩人がギターを弾いて歌っているような人。 恒平さんの歌はちょっとこわい。 季節はずれの風にのり 季節はずれの赤とんぼ 流してあげよか大淀に 切って捨てよか大淀に (面影橋から) 初めて聴いたとき、そのぶれない鬱屈(というのは変だけど)に 憧れた。 『面影橋から』を作った当時、恒平さんは面影橋がどこにあるのか知らなかったという。 続いて出てくる「日影橋」にいたっては、架空の橋だったとのこと。 つくづく詩人だなあと。 | ![]() サホロベアマウンテンにてぼくも食べたくなったよかぼちゃ |
![]() ボサ君いとしのボサ。 君にたよってばかりだ。 | ![]() Get Back: Part2ジョンとポールの2人きりでのランチのときの、花瓶に隠したマイクの会話はすごかった。 ビリー・プレストンがアップルスタジオに挨拶に来てそのままメンバーになる流れ、たまらない。 ジョンがビリーに一緒にやってみない?と頼む背後で、ジョージが「そうだよやろうよ」と、ジ ョージらしく控え目だけど、めちゃくちゃうれしそうなのには泣けた。 I've Got A Feelingでビリーが弾き始めたときのポールの驚き。 泣けた泣けた。 この1969年1月のロンドンの空気をずっと味わっていたいけど、今夜にはPart3が解禁になって、屋上でのライブで終わりも近いと思うと、さびしい。 個人的には名エンジニアのグリン・ジョンズがいっぱい出てくるのがうれしい。 めちゃくちゃいい人ぽくて。 | ![]() Get Back配信で『ザ・ビートルズ:Get Back』を見た。 Part1は1969年1月10日、トゥイッケナムのスタジオでリハーサル中にジョージが突然バンドを辞めると言い出して本当に帰っちゃうところまで。 代わりにクラプトンを呼んだらいいとか、音楽雑誌でメンバー募集すれば?と嫌気マックス状態。 1月9日の"Let it be"のリハーサルはずっと見ていたかった。 歌詞もまだあやふやで、演りながら曲が出来ていく。 その間ヨーコとリンダは楽しげになんの話をしてたんだろうか。 明日Part2見よう。 ジョージの機嫌は直るのか? それを取り持ったのはやっぱりビリー・プレストンかね。 |
![]() トルストイと関寛斎トルストイに会った日本人はいたのかどうか調べたら、1906年、徳冨蘆花が会いに行っていた。 トルストイは俗世を離れ、生まれ育ったヤースナヤ・ポリャーナで半農生活を送っていた。 その徳冨蘆花をわざわざ北海道から訪ねてきた老人がいたという。 関寛斎という質朴な老人で、陸別で牛飼いをしているという。 関寛斎は幕末の蘭方医師だったという。 70歳を過ぎて思うところあり、地位も名誉も捨て、明治35年、北海道陸別へ渡り開拓生活に入り、自ら開墾した原野に牧場をひらく。 徳冨蘆花は招かれて陸別の関牧場を訪れた。 ヤースナヤ・ポリャーナにトルストイを訪ねた日々のように、関翁と過ごした。 医師でもある関翁は、アイヌからも慕われ、貧しいアイヌの患者から金も取らずに治療したという。 この関寛斎こそは日本のトルストイだったかも知れない。 トルストイは最晩年、妻や家族の心情、生活態度と相容れず、家出をした。 そして旅の途中の駅で死んだ。 関寛斎もまた、自作農創設を志すも、やはりトルストイと同じように家族との意見の対立に悩んだという。 大正元年、関寛斎は82歳で自ら命を絶った。 | ![]() 死んだ男の残したものは死んだ男の残したものは ひとりの妻と ひとりの子ども 他には何も 残さなかった 墓石ひとつ 残さなかった ・ この歌は難しい。 男性が歌ったものは重たくて(辛気臭くて)、あまり好きじゃない。 元々はベ平連からの依頼で、集会での合唱曲として武満徹と谷川俊太郎が作った歌だったと聞いた。 石川セリさんが歌うのを聴いたとき、それまでとは違った印象で、すーっと聴けて、歌詞がじわじわと響いてきた。 『この世界の片隅に』の終盤、原爆で負傷した母子が描かれていた。 母は子を残して息絶える。 このシーンを見たとき、ふと2番の歌詞を思い出した。 ・ 死んだ女の残したものは しおれた花と ひとりの子ども 他には何も 残さなかった 着物一枚 残さなかった | ![]() 漫画みたい考え事があり、漫画みたいに部屋のなかを行ったり来たり歩いてしまった。 本当にあるんですねえ。 |
![]() アサヒペンタックス父が取引先の人から譲り受けたカメラをぼくが勝手にいじり始めたのは小学4年頃だったか。 アサヒペンタックスK2。 28mmと50mm、あと望遠レンズは200mmだったと思うけど全部単焦点。 フィルム装填、巻き上げ、レンズ交換、絞りとシャッタースピード…いじくり回して自己流に覚えた。 フィルム感度の「ASA」は「アーサ」と読むのだと、それは父が教えてくれた。 「アーサ」はいつの間にか「イソ」になった。 (1983年7月から変わったそう) 中学の写真部のときもずっと使っていた。 望遠レンズであの子を写したりして、部室の暗室で引き伸ばしたり… それが祟ったのか、ある日突然、望遠レンズのケースの底が抜け、200mmレンズはお釈迦になった。 友人のは連写もできるキャノンの新型機種で、何よりズームレンズがうらやましかった。 ぼくのは単焦点レンズだから、ぼく自身が被写体に近付いたり遠退いたりしなければならない。 カメラは高かった(今も)。 多分父は金銭の代わりに取引先の人から受け取ってきたんじゃないかと。 今思うと、思い当たる節が。 | ![]() ベティ・ハットン明るく陽気なベティ・ハットンは「爆弾娘」と呼ばれてハリウッドの人気女優であり歌手だった。 その輝かしいキャリアでも浮き沈みの激しい芸能界を渡っていくことが出来ず、1960年代にハリウッドを去ったとき、何度も死を考え、薬物中毒になり、どん底まで落ちた。 1970年代、ベティ・ハットンは田舎町の教会で家政婦をしていた。 彼女は教会の仕事により救われ、生きる力を蘇らせていた。 教会の神父は、「ベティ・ハットン」という名すら知らず、ただ「無一文の薬物中毒患者」の彼女を保護したまでである。 多摩川河川敷に住むホームレスの方が捨て猫の命を救い、世話をするうちにその方自身が生きていく希望を見出していった…という話が忘れられない。 人は、救われてこそ人である。 誰も救いたくないし救われたくない、と信じている人も、その手には藁を掴んでいる。 | ![]() turtleneck「タートルネック」を「とっくりのセーター」と言ったら笑われた。 |
![]() おはようボサくんおはよう。 今日も早いね。 | ![]() なんでなんでこんなだらだら人間なんだろう | ![]() マウンテンパーカーシエラデザインの米国サイトを見てもマウンテンパーカーは見あたらない。 どうやらアメリカでは売られていないらしい。 一応60/40(綿60%ナイロン40%)の生地はアメリカ生産だし、いまだに縫製もアメリカ国内とのことだけど(一部中国製もあり)、すべて日本向けということなんだろうか。 世界で日本人しか着ていないってことなのか。 別にそれでどうってこともないのだけど。 土湯温泉に行ったとき、ちょっと車に忘れ物をして、車まで駆け足で戻った。 そのとき川沿いの歩道の段差で躓き、思いっきり転倒してしまった。 駆け足だったので勢い余って、身体が宙を飛んでいくのが分かった。 そのときシエラデザインのマウンテンパーカーを羽織っていたのだが、肘をアスファルトに強打したのにマウンテンパーカーは破れるどころか傷も付かなかった。肘も痛いことは痛いけど、擦り傷は負わなかった。 マウンテンパーカーでなかったら大怪我していたかも知れない。 |
![]() ルノー4 フルゴネット子どもの頃に持ってたミニカーで気に入ってたやつ。 これといすゞジャーニーQの移動図書館が好きだった。 商用車が好きだったんだろうな。 古いトミカ、今探すと高いのね… | ![]() 森重隆さん見た? NHK特集「ノーサイドの笛は鳴った」の再放送。 1981年の新日鉄釜石ラグビー部。 選手兼監督の森重隆さんがかっこよすぎてまいった。 はっきり言って惚れたなあ。 松尾雄治というスターも、森重隆が支えてこそ光っていたんだなあ。 森さんの選手としての最後の日々を、アリスの解散とオーバーラップさせて見せるところがまた哀愁が増すというか。 フィールドにたたずむ森さんの横顔にアリスの『さらば青春の時』が重なる。 こちらも思わず口ずさんでしまった。 ラグビーとアリスって結構合うんだなあ。 | ![]() RONINもともと何も知っちゃいないし 可愛いものよ もともと何も持っちゃいないし 気楽なものよ “ジャスト・ア・RONIN” 加藤和彦&吉田拓郎 |
![]() いま出ましたそば屋の出前じゃないんだから。 | ![]() ラコスト訪問記澁澤龍彦は、城と牢獄は互いに裏返しの関係であると書いた。 城は頑丈な牢獄であり、牢獄は囚人にとっての城なのだと。 マルキ・ド・サドは6年間をヴァンセンヌ牢獄で過ごし、のちバスティーユに5年収監された。 そして著作のほとんどを獄中で書いた。 「獄中のサド侯爵は、仕事の邪魔をされたくなかったので、独房の扉がぴったり閉まっているかどうかを確かめに行った」 澁澤龍彦は、牢獄こそはサドにとっての夢想の場であり、城であったと強調した。 澁澤龍彦の『ラコスト訪問記』が好きだ。 サドの居城だったラコスト城は、南仏プロヴァンスのラコスト村にある。 澁澤龍彦にとって、ラコスト城こそいちばん行きたかった場所だったと思う。 澁澤龍彦が訪れた六月初旬の南仏はどんなだったろうか。 廃墟の城に着いた澁澤は、庭園の原っぱで赤い野の花を摘んだという。 「何サドの霊が花に化身しているような気がしたのである」 ラコスト城を立ち去るとき、車の窓から振り返っては、 見えなくなるまで城影を眺めた… 摘んだ花はドライフラワーにして、いつまでも澁澤の書斎に置かれたという。 ぼくはそういう澁澤龍彦が好きだ。 | ![]() お茶と情けそれが沁みる日もあるさ。 |
![]() 平岡瞳さん高円寺の展示に平岡瞳さんいらっしゃる。 ぼくはコロナ前から、もう丸3年くらいお会いしていない感覚だったけど、平岡さんは去年お会いしましたとのこと。 もうコロナ以降の記憶が曖昧になりつつある… 久々に平岡さんとお話しできてよかった。 ひとつには、絵は誰かに見てもらいたいから描くのであり、見に来ていただける方と意見交換することが大事な糧になるような気がするので。 長く続くコロナ禍を過ごすなかで、絵を描くことをむなしく感じることもある。 そんななかで、足を運んでくださることの幸いをひしひしと。 このむなしさのなかで、ぼくはまだまだ描くべきでしょうか?との問いに、三蔵法師のような、興福寺の阿修羅像のようなまなざしの平岡さんは、「もちろんです」と。 あ りがたさに思わず手を合わせてしまった。 | ![]() 飼育員さんある動物園で起きてしまったトラの事故は痛ましくてやりきれなかった。 トラの写真を見るのも辛かった。 動物園の飼育員さんは今日も一生懸命働いている。 事故のないよう、動物たちが安気に暮らせるよう、世話をする。 大変なことだ。 動物たちには盆も正月もない。 ぼくは井の頭の象のはな子が好きだった。 上京してから、何もすることがない日はよく井の頭公園に出かけた。 少し遅い時間に行くと、もうはな子はゾウ舎のなかに入り、飼育員さんからバナナをもらっている。 そんな場面を、太い柵越しに何度か見た。 飼育員さんは食事の済んだはな子の鼻を抱いて、しばらくじってしていた。 はな子もじっとしている。 長年のきずなというか、象と人間で通い合うものがあるのだろうか。 世界中に動物園があって、広大な動物園や、私設の小さな動物園。 そのすべての動物に安気に暮らしてほしい。 それを支えている飼育員さんを尊敬する。 | ![]() Greyhound Scenicruiserグレイハウンドのシーニクルーザーに乗ってアメリカを旅したいから、まずはボール紙で作ってみた。 ぼくのうしろの席には気のいいグリズリーも乗り合わせたりして… あのかっこいいシーニクルーザーはもう走っていない。 『ティファニーで朝食を』のドクはシーニクルーザーに乗ってテキサスに帰っていった。 あのシーン、素晴らしかった。 |
![]() Sound of Silence中学生の頃のぼくの楽しみは、夜、閉めたあとの実家の喫茶店で音楽を聴くことだった。 ポメラニアンのシイも一緒だった。 店には「有線」が引かれていた。 リクエストの電話をかけてお願いすると、3曲目あたりにかけてくれる。 それをラジカセに録音して繰り返し聴いた。 そうやって夜遅くまでいろいろな音楽を聴いた。 有線のスピーカーはマンガや雑誌の大きな本棚の上にあり、そこにラジカセを置いて、椅子に上がってRECボタンを押す。 曲が終わりそうになると、また椅子に上がって停止ボタンを押した。 時々ポメラニアンのシイが吠え、録音に入ってしまう。 リクエストし直すのも面倒だからそのまま聴いていた。 だからS&Gの"Sound Of Silence"のある箇所になると、いまだに頭のなかでシイの吠える声が再生される。 "やあ暗闇君、ぼくの古い友達 また君と話しにきたよ" ぼくとシイと暗闇。 そし て音楽。 そんな夜がいくつもあった。 | ![]() America「キャシー」 ピッツバーグでグレイハウンドに乗ったときにぼくは言った 「ミシガンはぼくにとって夢みたいだ」 サギノーからヒッチハイクで4日かかったんだ ぼくはアメリカを探しに行ったんだ ("America" Simon & Garfunkel) "America"のポール・サイモンと恋人のキャシー・チッティーが乗ったグレイハウンドバスは、今もピッツバーグのユニオン駅のそばのバスターミナルから乗車できる。みたい。 ピッツバーグ〜ニューヨーク直行便はダイヤ上は9時間。 ただし直行便とは名ばかりで、一旦フィラデルフィアで全員降ろされる。んだって。 だからフィラデルフィアかボルチモアで乗り換えになってしまう。らしい。 トイレ休憩は2時間に1回。今は車内にもトイレがある。とのこと。 エコノミーで$65くらい、リクライニングとかできて手荷物も多めに持ち込める席で$100ちょっと。だとか。 ピッツバーグ空港からJFK空港までのフライトも$100ちょっとだけど、一度は乗ってみたいグレイハウンド。 いつかぼくもアメリカを探しに行ってみたい。 なあ。 | ![]() |